刎頸之交 史記
ふんけいの交はり
既罷帰国。
既に罷(や)めて国に帰る。
(趙王は秦王との)会合を終えて趙に帰国した。
以相如功大、拝為上卿。
相如の功大なるを以て、拝して上卿(じやうけい)と為(な)す。
(趙王は)相如の功績が大きかったことから、相如を上卿に任じた。
位在廉頗之右。
位は廉頗の右に在り。
(相如の)位は廉頗の上となった。
廉頗曰、「我為趙将、有攻城野戦之大功。
廉頗曰はく、「我趙(てふ)の将と為り、攻城野戦の大功有り。
廉頗は言った。「わしは趙の将軍となり、攻城野戦の大功がある。
而藺相如徒以口舌為労、
而(しか)るに藺相如は徒(た)だ口舌を以て労を為し、
しかしながら、藺相如はただ口先の働きだけで、
而位居我上。
而(しかう)して位我が上に居(を)り。
位はわしの上にある。
且相如素賤人。
且つ相如は素(もと)賤人(せんじん)なり。
しかも、相如はもともと卑賤の出身である。
吾羞、不忍為之下。」
吾(われ)羞(は)ぢて、之が下為(た)るに忍びず。」と。
わしは恥ずかしくて、相如の下にいるのに我慢がならない。」
宣言曰、
宣言して曰はく、
(そして)宣言してこう言った。
「我見相如、必辱之。」
「我相如を見ば、必ず之を辱めん。」と。
「わしは相如に会ったなら、きっと彼を恥をかかせてやる。」
相如聞、不肯与会。
相如聞きて、与(とも)に会ふことを肯(がへん)ぜず。
相如はこれを聞いて、(廉頗とは)できるだけ会わないようにした。
相如毎朝時、常称病、
相如朝する時毎(ごと)に、常に病と称し、
相如は朝廷に出仕すべきときはいつも、病気であると称して(出仕せず)、
不欲与廉頗争列。
廉頗と列を争ふことを欲せず。
廉頗と序列を争うことを望まなかった。
已而相如出望見廉頗。
已(すで)にして相如出でて廉頗を望見す。
その後、相如は外出して廉頗をはるか遠くに見かけた。
相如引車避匿。
相如車を引きて避け匿(かく)る。
(すると)相如は車を引いて避けて隠れた。
於是、舎人相与諫曰、
是(ここ)に於ひて、舎人相(あひ)与(とも)に諫(いさ)めて曰はく、
そこで(相如に)仕える人たちはみな諫めて言った。
「臣所以去親戚而事君者、
「臣の親戚を去りて君に事(つか)ふる所以は、
「私たちが親戚のもとを去ってあなた様にお仕えしている理由は、
徒慕君之高義也。
徒だ君の高義を慕へばなり。
ただ、あなた様の高義の気持ちを慕っているからです。
今君与廉頗同列、
今君廉頗と列を同じくし、
今、(あなた様は)廉頗将軍と序列を同じくしておりますが、
廉君宣悪言、
廉君悪言を宣(の)ぶれば、
廉君(廉頗将軍)が(あなた様の)悪口を言うと、
而君畏匿之、恐懼殊甚。
君畏れて之に匿れ、恐懼(きようく)すること殊(こと)に甚だし。
あなた様は恐れて逃げ隠れ、恐れかしこまること、殊更に甚だしいものがあります。
且庸人尚羞之。
且つ庸人(ようじん)すら尚(な)ほ之を羞づ。
しかも、平凡な人ですらこうしたことは恥じるものです。
況於将相乎。
況(いは)んや将相に於いてをや。
ましてや、将軍や大臣であるならなおさらです。
臣等不肖。
臣等(ら)不肖なり。
私どもは愚かです(のであなた様のお考えが分かりません。)
請辞去。」
請ふ辞じ去らん。」と。
(これ以上お仕えすることはできませんので)どうかお暇をいただきたいと思います。」
藺相如固止之曰、
藺相如固く之を止(とど)めて曰はく、
藺相如は固く止めて言った。
「公之視廉将軍、孰与秦王。」
「公の廉将軍を視(み)ること、秦王と孰与(いづ)れぞ。」と。
「君たちは廉将軍と秦王と、どちらを恐れているか。」
曰、「不若也。」
曰はく、「若(し)かざるなり。」と。
舎人が言うには「(秦王には)及びません。」と。
相如曰、
相如曰はく、
相如は言った。
「夫以秦王之威、而相如廷叱之、
「夫(そ)れ秦王の威を以てしても、相如之を廷叱して、
「そもそも、秦王の威厳をもってしても、相如(=私)は朝廷で叱りつけ、
辱其群臣。
其の群臣を辱む。
その群臣を辱めたのである。
相如雖駑、独畏廉将軍哉。
相如駑(ど)なりと雖(いへど)も、独り廉将軍を畏れんや。
相如(=私)はおろかではあるが、どうして廉将軍を恐れようか。
顧吾念之、
顧(た)だ吾之を念(おも)ふに、
しかし私が思うに、
彊秦之所以不敢加兵於趙者、
彊秦(きやうしん)の敢へて兵を趙に加へざる所以の者は、
強国である秦があえて趙に兵を向けない理由は
徒以吾両人在也。
徒だ吾(わ)が両人の在るを以てなり。
ただ、我々二人(藺相如と廉頗)がいるからである。
今両虎共闘、
今両虎共に闘はば、
いま二匹の虎(藺相如と廉頗)がともに戦ってしまうと、
其勢不俱生。
其の勢ひ俱(とも)には生きざらん。
成り行きは、共に生き残ることはできないであろう。
吾所以為此者、以先国家之急、
吾の此(これ)を為す所以の者は、国家の急を先にして、
私がこのように(廉頗から避けている)する理由は、国家の危機を先にして、
而後私讎也。」
私讎(ししう)を後にするを以て なり。」と。
個人的な恨みを後にしているからなのだ。」と。
廉頗聞之、
廉頗之を聞き、
廉頗はこのことを聞くと、
肉袒負荊、
肉袒(にくたん)して荊(けい)を負ひ、
肩を出して茨のむちを背負い(罪人の姿で謝罪の意を表す)、
因賓客、
賓客に因(よ)りて、
(藺相如のもとに)客人として待遇されている人に取り次ぎを頼み、
至藺相如門謝罪曰、
藺相如の門に至り罪を謝して曰はく、
藺相如の(屋敷の)門に行くと、(自分のこれまでの)罪を陳謝して言った。
「鄙賤之人、不知将軍寛之至此也。」
「鄙賤の人、将軍の寛なることの此に至るを知らざりしなり。」と。
「賤しい人間である私は、藺将軍がこれほどまで寛大であることを知りませんでした」
卒相与驩為刎頸之交。
卒(つひ)に相与に驩(よろこ)びて刎頸の交はりを為す。
こうして、(藺相如と廉頗は)お互い友人となり、刎頸の交はり(お互いに首を斬られても後悔しない仲)を結んだ。