七縦七擒(しちしょうしちきん) 十八史略
魏主以舟師撃呉。 (舟師=水軍)
魏主舟師(しゅうし)を以って呉を撃つ。
魏主曹丕が水軍を率いて呉を攻めた。
呉列艦于江。
呉、艦を江に列す。
呉は軍船を揚子江に並べてこれを迎えた。
江水盛長。
江水盛長す。
折しも揚子江の水かさは増していた。
魏主臨望、歎曰、
魏主、臨望(りんぼう)し、歎じて曰く、
曹丕はそれを見ると、嘆いてこう言った。
我雖有武夫千羣、無所施也。
我、武夫(ぶふ)千群有りと雖も、施す所無きなり、と。
「千隊ものつわものを率いているが、これではどうしようもない」
於是還師。
是(ここ)に於いて師を還す。
曹丕は軍を引き上げた。
南夷畔漢。
南夷、漢に畔(そむ)く。
その頃、雲南の族が漢に叛いた。
丞相亮往平之。
丞相亮、往(ゆ)いて之を平らぐ。
丞相の諸葛亮が出兵してこれを平定したが、
有孟獲者。
孟獲という者有り。
猛獲という勇者がおり、
素爲夷漢所服。
素より夷漢(いかん)の服する所と為る。
平素から蛮族はもとより漢でもその勇猛ぶりは知れ渡っていた。
亮生致獲、使觀營陣、 (生致=生け捕り)
亮、獲を生致(せいち)し、営陣を観(み)しめ、
亮はこの猛獲を生け捕りにして、漢の陣営を見せた後、
縦使更戰。
縦(ゆる)して更に戦わしむ。
解き放って再度戦う機会を与えた。
七縦七禽、猶遺獲。
七縦七禽(しちしょうしちきん)、猶獲を遣(や)る。
七たび解き放って七たびとらえた。
獲不去曰、
獲、去らずして曰く、
なおも行かせようとすると、猛獲はこう言った
公天威也。南人不復反矣。
公は天威なり。南人復た反せず、と。
「公の武威は天賦のものです。南のものは二度と叛きません」と。
魏主又以舟師臨呉。
魏主、又舟師を以って呉に臨む。
その後、曹丕は再び水軍を発して呉に向かったが、
見波濤洶湧、歎曰、
波濤の洶湧(きょうよう)するを見て、歎じて曰く、
又もや逆巻く波に遮られた。嘆いてこう言った。
嗟乎、固天所以限南北也。
嗟乎(ああ)、固(まこと)に天の南北に限る所以(ゆえん)なり、と。
ああ、まことにこの揚子江は、天が南北に天下を分ける意志のあらわれであろうか」
魏主丕̻̻■。 (←がつへん(列の左)+且=死ぬ)
魏主丕、■(そ)す。
魏主曹丕が病死した(226年)。
僭位七年。 (僭=身分を侵すこと)
位を僭(せん)すること七年。
帝位を僭称すること七年、
改元者一、曰黄初。
改元する者(こと)一、黄初と曰う。
改元すること一度、黄初といった。
諡曰文皇帝。子叡立。
諡(おくりな)して文皇帝と曰う。子の叡(えい)立つ。
文皇帝と"おくりな"した。子の叡が位に立った。
是爲明帝。叡母被誅。
是を明帝と為す。叡の母、誅せらる。
これを明帝という。叡の母は以前に讒言にあって誅殺されていた。
丕嘗與叡出獵、見子母鹿。
丕、嘗て叡と出でて猟し、子母(しぼ)の鹿を見る。
曹丕はある日、叡をつれて猟にでかけ、親子づれの鹿を見つけた。
既射其母、使叡射其子。
既に其の母を射(い)、叡をして其の子を射しむ。
丕がすかさず母鹿を射止めると叡に向かって子鹿を射るよう命じた。
叡泣曰、陛下已殺其母。
叡、泣いて曰く、陛下、已に其の母を殺せり。
叡は泣いて訴えた「陛下は母鹿を殺しました。
臣不忍殺其子。
臣、其の子を殺すに忍びず、と。
私はその子を殺すに忍びません」と。
丕惻然。 (惻然=あわれみ)
丕惻然(そくぜん)たり。
それを聞いて丕は悲痛な思いをした。
及是爲嗣即位。
是(ここ)に及んで、嗣と為り、位に即く。
こうして叡が後嗣ぎとなり、位に即いたのである。
處士管寧、字幼安。 (處士=仕官していない人)
処士管寧(かんねい)、字は幼安。
民間の士に管寧という者がいた。字を幼安といい、
自東漢末、避地遼東三十七年。
東漢の末より、地を遼東に避くること三十七年。
東漢の末から、乱世を避けて、遼東の地に居ること三十七年もの間に及んだ。
魏徴之。乃浮海西歸。
魏、之を徴(め)す。乃ち海に浮かんで西に帰る。
曹丕がこれを招いたところ、海路西に向かって魏に帰ってきたが、
拝官不受。
官に拝すれども、受けず。
士官を固辞して受けなかった。